OUR VOICES
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絶えず挑戦を続けるAHKAHを
職人技で支えていく
2016年入社
クリエイション部 マネジャー K.N
創業間もないAHKAHと
出会った20数年前
私がジュエリー職人を志したきっかけは、高校時代に美術雑誌で見た、サルバドール・ダリのジュエリー作品に心惹かれたことでした。それでジュエリー専門学校に3年間通ったのですが、ジュエリーが好きになりすぎてしまい、「これを仕事にするのはやめよう」と考え、卒業後は染色作家の手伝いや、映画の大道具・小道具制作、鉄を素材としたエクステリアやオブジェを作成したりと、大きなものから小さなものまで作ってきました。自分の手で何かを作るのがやっぱり好きなんでしょうね。
そんな生活を何年か続けた後で、自分のアトリエを構えて再びジュエリーを作るようになりました。個展を開いたり、百貨店に作品を卸したりするのと同時並行で、海外アンティークの時計やジュエリーの修理も手掛け、幅広い技術を身につけた時期でした。そして創業間もないAHKAHと初めて接点を持ったのが2000年頃。最初は社外の職人としてAHKAHのものづくりを手伝い始め、2016年に社員になりました。
今のブランドの土台となる
「AHKAHらしさ」を追求した日々
AHKAHの創業者は作品一つひとつに対して非常に深いところまで想いを語る人でした。こだわっていたのは、どんなに大胆なモチーフであっても、必ず繊細さを感じられるものにしたいということ。そして常にファッションに溶け込むジュエリーを目指していました。そんな想いを受けて、私が提案したのが「六四(ロクヨン)」の18金。18金に含まれる銀と銅の割合が6:4で、銅が少ないぶん、赤みを抑えた軽やかな色味のイエローになるんです。これは今でこそジュエリー業界で主流になっていますが、当時大多数のブランドが使用していたのは、銀と銅が同率でやや赤みを帯びた「五五(ゴーゴー)」でした。でもAHKAHが目指す世界には、もっとモダンで清潔感のある金が似合うと考え、採用したんです。あの頃に追求した「AHKAHらしさ」は、今でもブランドの土台になっていると感じます。
デザイナーの自由な発想を形にし、
その美しさを磨き上げる仕事
私たちクラフツマンの仕事は、デザイナーが描き起こしたデザイン画を実際の形にすることです。平面から立体にする際に様々な問題が起こります。問題点を一つひとつデザイナーと話をし、お互いに意見を言い合いながら形を完成させていきます。デザイナーの持つアイディアや思いをできるだけ忠実に叶えることを意識しています。
制作したモックアップは、クリエイティブディレクターのKatie Hillier(ケイティ・ヒリヤー)や社内メンバーと検討して調整を重ね、OKが出れば実際に18金やダイヤモンドを使ったサンプル制作に入ります。地金や石を使って形にして初めてわかることもあるため、そこからも妥協せず調整を繰り返して完成度を上げていきます。そしてようやく最終形が出来上がり、社内メンバーに試着してもらうのですが、私はそれを見るのがすごく楽しいんです。人がつけている姿を見て、やっぱりきれいだな、とか、あの仕上げで正解だったんだな、などと思える瞬間が、やりがいにつながっていますね。
クラフツマンとして、
さらなる高みを目指して
今は私のチームに若手のクラフツマンが複数名いて、私はチームみんなの力を集める監督のような立場です。クラフツマンにはそれぞれに自分の癖ややり方がありますが、AHKAHの世界観や品質として譲れない部分があるので、各工程の細かな部分にも目を光らせて、しっかり話し合いながら進めていきます。
AHKAHはずっと新しいことにチャレンジし続けてきた会社なので、クラフツマンの目の前にも次から次へと壁があらわれます。でもAHKAHのジュエリーを今よりもっとグレードアップすることが私の使命ですから、諦めずに自分自身も進化しなきゃいけないと思っています。私には、習得したい技術、磨きたい技術がまだいろいろあります。大変なことも多いけれど、ジュエリーを作るのはやっぱり楽しいですからね。
STORY OF AHKAH JEWELRY
ミレニアムクロス ネックレス
ミレニアムを目前にした1999年に私がデザインしたもので、私とアーカーの縁をつないだアイテムです。一つひとつ手彫りで仕上げる彫刻作品のようなジュエリーは私の得意としていたところで、それを創業者に見せたところ非常に気に入ってくれ、AHKAHで取り扱いが始まりました。そこから継続して私の作品やデザインをAHKAHに提供するようになり、同時に私がAHKAHオリジナル製品の加工を引き受けることも増えていきました。いろんなことがあった20数年間の始まりはこれだったんだなと、感謝とともに懐かしく思い出します。